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 「雄飛」の期シリーズ 11
 求められる日本美術の独自性
 油絵から転向した藍染
 1989年第14回国際タピスリー
 ヴィエンナーレに入選
福山(山本)潮子(11期

 中学の頃初めて、新しい油絵の具のセットを手にした時のあのわくわくした気持は、今も思い出します。油絵であるというだけで、絵がとても立派に見えたものです。しかしその後、高校でも洋画科に入り、大学でも西洋画科に入って油絵を描いていましたが、4回生の頃から、どうして西洋の骨董品のようなもので油を描いているのだろうかと、考えるようになりました。それから試考錯誤しながら、いろいろ素材に挑戦してみましたが、30才の頃藍染と出合いました。藍はそれまで手がけたどの素材よりも、私の表現したいイメージを展開してくれるという可能性を感じたのです。それからは夢中で、できるかぎりの新しい挑戦を試みてきました。藍染は水仕事で重労働です。今思うと30代は体力との戦いのようでした。新しいイメージを追いかける体力があったからです。40才を過ぎてからは、イメージが先行して体力がついてゆかないことも出てくると、少しゆっくり考えるようになりました。30代の頃は考えることもそこそこに、どんどん創作していたころは、無意識に藍や、布や水、空気、風、といったものの自然の力を感じ素直に反応してゆくだけで、つぎつぎに新しいものが生まれてきました。それは新しい藍染表現で、アートの挑戦してゆきたいという、意欲であり、亦日本の藍の持つ精神性の高い空間意識、その美に魅せられて、本根で立ちむかえるという満足感でもありました。それは油絵の具では満たされなかった生理的な満足感でもありました。藍染で作品を作るようになってからは、海外で展覧会をする機会もふえてきました。6年前、最初にニューヨークで個展をしてから、スゥェーデン、スイス、オランダ、イタリア、と機会があって作品を発表してきました。来年は又、ニューヨークで、五番街に新しく出来る高島屋のギャラリーで個展をさせて頂く予定です。海外で展覧会をするたびに、一番深く印象に残るのは、自分が日本人であると感じることです。外国の人との出合い、作品との出合い、歴史との出合い、そのたびに自分の中の日本を感じます。戦後47年は、私の年でもあります。戦後アメリカ、ヨーロッパの影響を強く受け、そして今独自性のある日本にめざめなくてはならない時期に来て、全く同じことが、日本美術に対しても、世界から要求されていることをひしひしと感じるのです。

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