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 「雄飛」の期シリーズ 12
 自分の「舞・踊」を探し続けて
 今、生きることを「舞・踊」にたくす
高山明美(13期

 24歳の冬、ルドルフ・フォン・ラバンとメリー・ヴィグマンの流れをくむ邦正美の日本教育舞踊研究所の講座を、中学三年生の時お世話になった吉本真智子先生に勧められ、受講することになりました。なんといっても始めての経験で、テニス大好き、無器用チビマルコロコロ人の私にとってはすごいカルチャーショックでした。技術的にも全然ついていけません。困ったものです。でも自由に動ける”即興”の講座だけは心から楽しめました。春の研究会までには少しでも動けるようにならなくては、と、そんな単純な気持ちで、同じシステムの舞踊研究所を探していた矢先、色々な御縁で神澤和夫・茂子創作舞踊研究所に足を運ぶようになりました。軽い気持ちで足を踏み入れたのが・・・。
 これが私の舞踊の出発でした。研究所生活の間に国内はもとより、ドイツ・アメリカ公演に参加しながらの舞踊修業を積み、17年後に独立しました。大海原にほうり出された小舟のようなものです。
 中学校で子ども達の指導と舞踊の修業、両方とも私にとってはなくてはならない存在です。子ども達との響きあいの中でフツフツと沸き上がってくるもの、それは私のエネルギーとなり、舞踊と向き合う中でなくてはならないものになっています。
 今、神澤創作舞踊研究所から独立して7年目、我武者羅に歩んできました。独立したものの、人との関係なしではやっていけない舞踊の世界。創って、おどって、観ていただいて広がり、深まる世界。「おごり屋高山明美」一人で何が出来るのですかと悪戦苦闘。
 そんな時、又、御縁というものに助けられました。友人達がおどる場を作ってくれます。自然の流れのように。建築家、染色家、陶芸家、写真家の出あいが共有する場を広げていきます。建築物、美術工芸とのセッション、色々な音楽とのセッション。その中で「インプロヴィゼーション(即興演劇)」というひとつの表現の方法を少しづつですがみつけていきました。その空間に存在する、作品、音、観客、そしてその土地の風土、自然の全ての”気”と交歓しながら内からほとばしりつきあげる動き。これがおどり、舞の命、人間の命と信じられるようになっていたのです・・・・・!
 今、活動の場は大阪、奈良、岡山になっています。自分自身の劇場でのプロデュース公演、屋外でのアートイベント。島全体だったり、海岸だったり、船上だったり、道路だったり、そして寺院での舞。おどり、舞う空間があればどこでもといった感じです。
 来年は私の原点、奄美諸島の「喜界島」をテーマに琉球文化とのかかわりの中で、三味線や島唄を織り込んで、私のプロデュース公演を夏に大阪で計画しております。ずーと続いていく自分自身の「舞・踊」をみつけ出す為のひとつの修業として。

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