今年で、夕陽丘中学を卒業して32年目、高津高校を経て大阪大学を卒業して医師になってから23年目になります。大学卒業後、大学病院での1年間の研修を終え、東大阪病院に2年、大学に戻って10年、平成5年からは大阪船員保険病院に勤務していましたが、平成13年5月から、まさに生まれ育った天王寺区に戻ってきました。現在通勤は、徒歩です。
昨年11月、夕陽丘中学の生徒たちが、校外学習で当院にやってきました。後輩が病院に見学にくるのは、うれしいような、すこし面映いような感じがしました。将来、彼ら・彼女らも医療に携わるのでしょうか・・・。 私が医師を目指したのは、小学生の時です。今からは想像もできませんが、病弱で両親に心配をかけていました。急性腎炎をわずらい生野区の中川医院に通院していたのですが、その時学校で一番偉い人だと思っていた先生が、校医の中川先生に対して丁重に応対されているのを見て、医師は偉いのかなと錯覚してしまい、医師を志したのです。中学2年の時、生徒会を代表しては、NHKのラジオ番組出演した時に大胆にも"将来は、医師になる"と言ってしまい、その後も変わる事なく小学生の時に目指した医師になってしまいました。中学時代の私は、剣道に明け暮れていました。
我校のチームは、大阪市・大阪府の大会で輝かしい成績を収め、優勝旗や賞状をもらいました。しかし、試合の成績よりも、剣道のおかげで病弱と思われていた私の体力は向上し、医師の仕事(実は、ほとんど肉体労働)を全うしてきたのだと思っています。私の長女も医師になる予定ですが、まず体力をつけるように言っています。
大学を卒業し、はじめて医師として患者さんと接した時は、毎日が緊張の連続でした。知識と実践は別です。最初の数年は、ちょうど結婚したばかりでしたが、患者さんに迷惑をかけないように、早く一人前の医師になるようにと、今から思うとよく勉強した時期でもありました。もしかしたら、今までで一番よく勉強したのかも知れません。昭和63年からは立場が逆転し、大学病院で卒業したての若い医師の教育係となりました。早く一人前に、とは言わなくても半人前の医師にしなければと、大変な毎日でした。あまり信心深くない私も毎年正月には1年の無事を祈ってお参りに行くようになりました。これは、現在も続けています。
この23年で思うことは、病気は医師が治すのではなく、患者さん自身の力(体力・精神力)で治るのであるということです。医師のできることは、すこしの手助けと方向付けだけです。まだたかだか23年の経験ですが、最近患者さんと医師の信頼関係が薄れているのではと危惧しています。患者と医師が協力し合わないとよい結果は生まれません。その基本は、信頼関係であると思います。なぜこんなに信頼関係が悪くなったのか、単にマスコミ報道だけではないと思いますが、将来この状況が続くあるいはより悪くなるようならお互い大変な不幸だと思います。
今、多方面で構造改革が叫ばれています。医療界でも、病院が倒産する現在、構造改革が必要となってきました。私は、構造改革の第一歩は意識改革であると考えています。ただ、人員を減らしたり、機械化やITを推進するのみで、真の構造改革は成功するでしょうか?
成功した大企業(確かソニーか日産だとおもいますが)の社長が、最も重要なのは"人"であると話していました。すなわち、意識改革に成功した人員をより多く集めた企業が成功するのだと思います。病院も同じだと思います。むしろ、人と人が直に接する病院において、より重要なことだと思います。私は、医療は究極のサービス業であると考えています。例えば、入院において、よりよい入院環境、病気に立ち向かう勇気を与える医師・看護士をはじめとする医療スタッフの心のこもった医療サービスの提供が重要であると考えます。私の勤務するNTT西日本大阪病院には基本理念があり"私達はヒューマニズムに基づき、患者様の権利を尊重し、心のこもったレベルの高い医療を行います。そして、患者様に満足・安心していただき、地域社会から信頼される病院をめざします。"とうたっています。この中には、まさに医療はサービス業であること、さらに信頼関係の上に良い医療が成立することがうたわれていると思います。これを実践すべく努力してゆきたいと思います。
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